2013/03/25

4/4 たった2週間後で施設から舞い戻ってきた

東野真吾さん
(社会福祉法人神戸福生会・御倉あんしんすこやかセンター※)
※地域包括支援センター

※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。

4/4
たった2週間後で施設から舞い戻ってきた

井上さんは数か月後に特別養護老人ホーム(※通称「特養」:とくよう)への入所が決まりました。

介護は大変でしたが、僕は彼の人柄がすごく好きだったので寂しかったことを覚えています。

特養あての情報提供書の排泄の欄には「紙パンツ、トイレで排泄」と僕が書きました。

しかし、信じられないことに井上さんは2週間後にまた僕たちの施設に舞い戻ってきたのです。

特別養護老人ホームは終の棲家と言われています。

だから一度入ればよほどのことがない限り退所することはありません。

これは家族側と特養側で誤解があったためでした。

息子さんはいましたが、外国に住んでいたので、現実的な事務作業は井上さんの弟が担っていました。

弟さんも高齢者だったので、特養に入れれば面倒をみることから解放されると思っていたようなのです。

入所できるところがあればどこでも良いと考えていたのでしょう。

弟さんは病院受診時のつきそいを特養側に任せられると思っていたのが、施設側は家族がしないといけないと言ってきたそうです。

弟さんは「そんな話は聞いていない」というので本人を退所させたのです。

僕は正直に言えば井上さんが戻ってきて嬉しくはありました。

しかし、2週間ぶりに見たときの井上さんの変化は唖然とするものでした。

たったの2週間で彼は立てなくなっていました。

トイレに座ってもらおうと思っても腰がまったく上がらないのです。

2週間前にはすっと立って、方向を少し介助してずらすだけで便器に座れていたのです。

それが腰を浮かすこともできなくなっていました。

体重も落ちていました。

僕が本当に驚いたのは彼が履いていたデッキシューズがスカスカになっていたことでした。

小さくてはかせにくいな、と思っていた靴がすぽっとはけてしまうのです。

これは何があったんだと僕は思いました。

たった2週間でこんなに変わるものかと思いました。

井上さんはその少しあと、高熱がでて病院に入院しました。

家族が付き添いにこれなかったので、僕が病院に付き添いました。

僕は点滴につながれた井上さんの傍らにいました。

そこで待っていると、若い司法書士の女性がやってきました。

彼女は井上さんの成年後見人(=契約・財産管理等を行う法的な代理人)だと名乗りました。

いつのまにか彼には成年後見人がついていました。

「まさかこんなことになるなんて」と彼女は言いました。

施設選びを間違えた、とでも言う口ぶりでした。

井上さんは治療が終わってから、その成年後見人が選んだ施設に入所されました。

今度は僕たちのところには戻ってきませんでした。残念ながら。


専門家と家族の協働が必要


現在、僕は地域包括支援センターといって行政の委託を受けて介護などの総合相談を行う機関に勤務しています。

ここで感じたことは、一般の方の介護に対する関心の低さです。

確かに介護保険は複雑で分かりにくい制度ですが、それでも要介護認定の申請手続きという基本すらまったく知らない方がほとんどです。

今後、利用者側が自分たちが受けている介護サービスの内容をチェックできない(しようとしない)ことが問題になってくると僕は考えています。

たとえば、「私たちには医療の知識や経験がないのだから、医者の言うことには従わなければいけない」。

これが今までの考え方でした。

最近では「介護は介護の専門家にまかせましょう」、ということもよく言われます。

しかし、唯一無二の自分の人生、あるいは親の人生を決める重要な物事をまったくの他人に委ねていいのでしょうか。

確かに専門家並みの知識を持つことは難しいとは思います。

しかし、どういった人生を選択するか、それを決めるためには本人やその家族に一定の医療や介護の知識は必要です。

我われは介護については専門家ですが、その介護を受ける方の人生については素人なのです。

家族さんのほうがよっぽど詳しい。

だからこそ両者の協働が必要だと思います。

老人の生活のあり方を最終的に判断できるのはご本人と家族しかいません。

決して他人に丸投げして完結するものではないのです。
 
生き続けていれば人間いつかは介護が必要になります。

介護を受ける期間は人によって違いますが、医学の進歩で介護を受けながら生き続ける時間は確実に長くなっています。

はっきり言って、いま介護のレベルを上げる唯一のインセンティブ(あるいは源泉)は、良い介護をしたいと思う現場の人間の善意だけです。

でも現場の人間はその善意を絞り出すようにして日々頑張っています。


現場側からだけでなく、介護を受けるお年寄りやそのご家族からも介護の質を上げていけるような働きかけがなければ、現場の人間の苦しみはいつまでも変わらないと僕は考えています。

増え続ける要介護老人と増えない介護従事者。

介護現場で働く専門職の頑張りだけでは、現在の介護のレベルを維持していくこともできないかもしれません。

介護を受ける側にも知識を持ってもらい、要介護生活のビジョンを我われに伝えてもらいたいと思います。

本人が自分の人生のビジョンを語れれば良いし、それができなければ家族が代弁する。

利用者側にケアプランをチェックする能力があれば、サービス事業者側のケアの質の向上にもつながると僕は思います。
(おわり)
介護とソーシャルワーク研究所

(取材 2013.1)

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たった2週間後で施設から舞い戻ってきた
専門家と家族の協働が必要

読者からの声
最終回が良かったです。
社会全体の介護に対する関心の低さを痛感します。
この無関心はいつか自分の身に返ってくるはずなんですけどね…(白崎)

年を取りすぎたと嘆き認知症状と思われる行動をする一人暮らしのばあちゃんにビジョンを語れるのでしょうか。独立して30年の働き盛りの子供たちに目の前の親のビジョンが語れるのでしょうか。そのような親子を目の前にして、在宅サービスを考えるとあまりにも無力で情けなくなります。それも現実。息子と一緒に住みたいけど、働かないといけないからねって。認知症になっても息子を思う母の気持ちは変わりありません。(エミリー)

先輩に「なたは、家族の意向ばかり聞いているから、何も決まらないのよ」と、言われます。「あんたが決めなきゃ」と言われて、介護に正解はないと言われ、固まる新人です。(渡辺)

おもしろかった。
介護職の搾り出すような善意だよりはもうやめないと。
家族の無関心も、質の低下を後押ししている、という視点だいじですね。(やり)

確かに「増え続ける要介護者と(私の周りでは)減り続ける介護従事者、あるいは増え続ける介護放棄者」というところでしょうか。今月になって新規のご利用者がぞくぞくでてきています。一人でできることも有限ですか、それでもがんばっている家族がいるとなんでもできそうな気がしてきます。錯覚かもしれないけど。miu


◆編集部より◆
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