2/4 介護難民となる老人たち

東野真吾さん
(社会福祉法人神戸福生会・御倉あんしんすこやかセンター※)
※地域包括支援センター

※本文は個人情報保護の観点から事実と異なる箇所があります。

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介護難民となる老人たち

今でもよく覚えているのは、横川さんのことです。

彼女は1年以上にわたってショートステイ(短期入所)を利用している人でした。

その間に家に帰ったのはたったの1度だけでした。

介護保険では「ショートステイ」を利用できる期間には制限が設けられていて、介護認定有効期間の半分以上の日数をショートステイに使うことはできないと決まっています。

介護保険証には有効期間があって、例えば1年間の有効期間を持っている人は、半年以上の日数をショートステイで使うことはできないということです。

でも横川さんには現実的に行くところがありませんでした。

いや、留まれるところがない、と言ったほうが正確でした。

自宅はありました。

別居ですが家族もいました。

でも横川さんの弱った心身では自宅で生活できず、施設にも入れずにいました。

いわゆる介護難民です。

横川さんは杖を使えば一人で歩けました。

でもパーキンソン症候群が出てきていて、動きはゆっくりだったし、認知機能もいくぶん低下していました。

でも高齢者になれば動きもゆっくりになるし、物忘れもするのが当たり前で、僕たち職員は横川さんのペースを尊重した関わり方をしていたと思います。

そんな横川さんにある日とつぜん介護老人保健施設への入所が決まりました。

でも、「なぜ」その老健なのか、というのが僕たちが抱いた疑問でした。

横川さんは行き場がなくて1年以上にわたって僕たちの施設に入っていました。

老人保健施設はリハビリをして在宅復帰することが目的です。

横川さんがリハビリをしても在宅復帰できる可能性が高まるわけではない、というのが僕たち職員の一致した見解でした。

この一年の間、横川さんのケアマネジャーはいったい何をしていたのか、と僕は思いました。

横川さんの状態をきちんと把握して、横川さんにあった施設を探していたのだろうか?あるいは家族にそうするよう促していなかったのか、と。

施設の入所が決まる直前まで、家族としてはとくに入所先を探してはいなかった、とあとで聞きました。

家族にしてみれば「在宅サービス」のショートステイだろうが長期で利用していれば「入所サービス」の施設と同じ感覚だったと思います。

家族の介護保険サービスに関する理解度はけっして高くないのです。

僕の目から見れば、これ以上ショートステイサービスを長期に利用することが制度上まずくなり、あわてて入所施設に申し込みを行い、申し込み先に「たまたま」部屋の空きがあったから入所させた、という図式でした。


「とくに何もありゃしないよ」

横川さんが老人保健施設に入所して3週間くらいたったあと、僕は彼女のところに面会に行きました。

施設のエレベーターで3階まで上がりだだっ広いフロアにいた老人の中から横川さんを探しました。

フロアにいた入所者の7割くらいの老人は、施設のレンタル服を着ていました。

男性は淡いブルー。女性は淡いピンク。

僕は一通り眺めまわした後で、集団から少し外れたところに車椅子に乗せられた横川さんの姿を見つけました。

僕が近づくと、横川さんは淡い笑顔を作ってくれましたが、話す声はか細く、目の奥の光も弱っているように感じられました。

僕たちのところにいた横川さんには横川さんという人間がもつオーラが体の表面に漂っていました。

そこには彼女がもつ固有の存在感がありました。

でもお仕着せのレンタル服を着せられ、車椅子に乗せられた今の横川さんからはそのオーラを感じることができませんでした。

一施設の一介護職でしかないそのときの僕には、なにもできることはありませんでした。

一度、横川さんが僕たちの施設にいたときに、自宅に1泊だけ帰ったことがありました。

僕たちの施設に戻る日、僕が横川さんを家まで迎えに行きました。

僕は杖をついて歩く彼女の横につき、車まで誘導しました。

車に乗る手前で、横川さんは立ち止まりました。

僕は「家に帰ってどうでした?」と横川さんに聞きました。

「とくに何もありゃしないよ」

横川さんはそう言って後ろを振り返り、曲がった背中を伸ばし、なにかまぶしいものでも見上げるときのように目を細め、自分の家を見上げました。

僕は自分の手を彼女の背中にそっと添えながら、間近で彼女の顔をながめました。

そこには悲しみでもない、怒りでもない表情が浮かんでいました。

僕は少し待ってから、彼女を促して車に乗せました。

そして僕たちは何十年もの間生活してきた彼女の家をあとにしました。

あのとき横川さんが何を考え、どんな思いを持っていたのか、当時も分からなかったし、今でも同じように分かりません。



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