◆突然、涙が出てきた
やがて、トイレにお誘いするのが2時間ごとに必要となったのです。
それに3食の食事の準備と食べるお手伝い。
そうやって頑張って食べてもらったつもりでしたけど、体重は1年で15kg減ってました。
家を空ける時間も限られ、24時間、何をしていても常に気になっていました。
買い物などは、ただカゴに目に入った物を突っ込んで、早足で帰って来るって感じでした。
世間の人々が、のんびり歩いたり語らったりしている姿が、別世界の事のように見えていました。
病気と分かってから、1年以上経って初めて、ボランティアの見守りサービスを週1回利用することになりました。
それから4ヶ月後にはショートステイをやってみました。その7ヶ月後からデイホームに通えるようになりました。
すべて、当時の福祉事務所や保健婦さん達が、私が相談しにいく時の様子を見てくれていて「(介護負担の)限界が来てるわよ。利用しなさい。」と言われて使い始めたような状況でした。
何か、辛くなってキツくなっているんだけど「何かを利用したり活用すればどうなるのか?」という発想が全くなかったですね。
だって、ジワジワと負担が重くなっていくので、その重さに気付かなくなっていたのかもしれないって、今は思いますけど。
当時、私の朝の日課は、一晩で汚れてしまった寝具や寝間着などを洗濯機で洗うこと。
それを毎朝、毎朝やっていたのです。
と、ある朝、いつものように回り始めた洗濯機を見ていたら、急に涙が出てきたのです。突然。
泣き出してるんですよね、私。
自分でも驚いて、どうしたんだろうと思いました。
気分を切り替えようとして、外に出たのです。でも、どこか心が晴れなくて、なんか普通に、なんの抵抗もなく、「何かもうイヤになっちゃったな。どっか行って死んじゃいたいな。」って思っていたのです。
そんなとき、丁度、朝の散歩に出るマンションの住人にお会いし「おはようございます」って挨拶をかわしたんです。
何気ない、いつもの挨拶でした。
でも、そのとき、我に帰ったのです。「今の自分は普通じゃなかったな」って。
それで、これは自分自身もまずいと気づいて病院に行って、それからは、ずっと薬に頼る介護者になりました。
薬をもらい始めて、医療とつながっているという安心感は得られるようになったけど、症状が無くなる訳ではありません。
夜中に2時間毎に目が覚めたり、横になると咳がひどくなるので、上半身起こして睡眠を取っていた頃もありました。
精神的にきつかった極みは、医師の何気ない一言でした。
特別養護老人ホーム(以下「特養」)入所を希望していたので、ショートステイを使いながら相性の良い所を探していました。老人保健施設も2カ所3カ所使わないとやっていけない状況にもなっていたのです。
その利用の為には、医療の書類が必要なんです。
通院の度にその書類を頼む事が増えていました。
書いてもらう医師には、私も看てもらっていたので、介護の大変さは分かってもらえていると思っていました。
でも、そんなある日、医師にいつものように書類の作成をお願いすると、医師がこう言ったのです。
「また、書くのぉ。」って。
そしてその書類を看護師に渡してしまいました。
衝撃を受けました。心臓がバクバク鳴っていました。
今、思えば、医師としては、何も悪気はなかったのでしょう。受け取る私自身の問題だったのでしょうね。
でも、それを聞いたあと、自家用車を運転して帰るのも怖くて怖くて。。。。
頭の中は「施設利用する為の書類を書いてくれる人がいなくなった。もう家で看るしかないんだ。」だったのでしょうね。。。絶望でした。
夕方、帰宅した夫に言ったら「曜日を変えて他の先生にすれば?」と軽く言われてしまいました。
そんな簡単な方法さえ、私の頭にはまったく浮かばなかったんです。
でも、その変更を頼む電話は怖くてかけられませんでした。夫にしてもらいました。
◆喪主の言葉
本人が病気と分かるまで、何となくモヤモヤしながら、生活に手を出し続けた日々が5年ほどありました。
病気と分かってからの5年が、介護という意識を持っての関わりでした。
ボランティアさんに週1回3時間、見守りをお願いする所から外部の助けを借りるようになり、
ショートステイ、ミドルステイ、デイホーム、老人保健施設と、外に出掛けて介護を受ける日々を増やして、
何とか特別養護老人ホーム(以下「特養」)入所までこぎつけました。
特養入所前は、自宅にいる間はデイホームに通い、ショートステイで一週間。その後、自宅にもどって、その次は老人保健施設に2週間~2ヶ月入所して過ごすというようなサイクルを続けていました。
入所の前年は、年間269日、施設で暮らしてもらいました。
そして特養で5年暮らし、最後は4ヶ月の入院で看とり終えました。
本当に心身ともに大変だったのは、特養入居まででしたね。
もちろん、特養へ入ったあとも、本人の代弁者でもあり、食べさせる事は自分の仕事と思っていましたから、足繁く通っていました。
だから、在宅とは違った意味での緊張があり、介護が終わったとは思っていなかったですね。
そんな介護の15年でしたが、葬儀の時の出来事でその長い年月の重みがフ~ッと軽くなりました。
喪主の挨拶です。
3つの大事なことを言ってくれました。
まずはアルツハイマーという病だった事。
当時は多くの人が隠したがる病名をきちんと言ってくれたのです。
そして、特別養護老人ホームで暮らした事。
やはりその頃は、亡くなりそうになると自宅に引き取ったり、病院に入院させてしまったりと、家族が施設に預けた事を隠す風潮がまだまだ強かったのです。
最後に、私に対する感謝の言葉を述べてくれました。
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