2012/07/03

何か病気を疑うということはまったく頭になかった


西澤 惠さん
 ( 東京都世田谷区・家族会「認知症介護者のおしゃべり会」、ミニデイサービス「たまでん茶話会」主宰 

◆よこがお

1980年代、家族のアルツハイマー発症をきっかけに介護が始まる。

当時はまだ介護保険施行前でケアマネジャーなどの連絡調整役もない時代。

ボランティア、デイホーム、ショートステイ、老人保健施設の利用手続きなどをすべて一人でやってきた。

病院に行くまで約5年、病気と分かってからの5年の間に気づくと自らも心身症に。その後も、入所後約5年と介護が続くことに。

在宅介護時、自治体が主催する介護者の集まりに参加し、その会の終了に伴い 1994年より、「認知症介護者のおしゃべり会」を始める。

1999年に世田谷区社会福祉協議会支援事業サロン登録、2000年より世田谷区社会福祉協議会支援事業ミニデイサービス「たまでん茶話会」も主宰している。
何か病気を疑うということはまったく頭になかった

アルツハイマーですから正確には分かりませんが、本人は65歳の頃から「なにかおかしい」と親戚に漏らしていたようです。

私達夫婦と同じマンションの一階に一人で住んでいました。
ずっと夕飯を一緒に取ったりと、私達夫婦は出入りしていました。

後で考えると、そうだったのか、と思い当たる節がありましたが、当時はおかしな行動をするなと感じたくらいかな。

例えば、明け方に突然、電話をしてきたことがありました。

そして「子ども達がいない。こんな朝早く何処に行ってしまったのか?」と。

とっくに成人しているのに、まだ幼いと思い込んでいるような話し方。「じゃあ、今、話をしている私はどういう立場の人なの?」って聞きたかったですよ。

もともと、とてもプライドの高い人ですから、決して逆らうような事は言えませんけどね。
だから「なんだか変だな~」とは感じていました。

それから、冷や飯が冷蔵庫に溜まっていった事も印象深い出来事でした。

というのは、一緒に夕食を摂る時、三人分のご飯を炊いてもらっていたのです。
それをいつも4合炊くのです。

ご飯は、夕飯のときしか食べません。それも大人3人が一膳ずつしか食べないから余るのです。
だから当然、多すぎる量でした。

「余ってしまうから、2合ぐらいで良いのでは?」と聞くと「少し炊いたご飯はおいしくないから」って。「残ったご飯があるから、今日は温めて食べましょう。」と提案すると「せっかく一緒に食べるんだから、炊きたてを。」って。

一見、正しく聞こえます。 優しくも思えます。 でも、冷蔵庫には前回と前々回の残りご飯の入ったどんぶりが溜まっているんですよ。変でしょ、やっぱり。

見かねて、お米を研ぐ頃の時間を見計らって「今日はお米、少なめでいいですから」と電話をしてみました。それでも、行ってみるとやっぱり4合炊いてあるのです。

電話があった事も全く覚えていないようでした。

今になって考えれば、当然おかしかったんだなと思います。
でも、当時は、何か病気を疑うということはまったく頭になかったのです。

ある時、前日から風邪気味だったのですけど、夕方部屋を訪ねると、ドアのチェーンが掛かっていたのです。「ドアチェーン外してください」と言ったんだけど、何か反応がおかしい。

半開きのドア越しにチェーンの所を指差して「ここの所、外してください」と言うんだけど、だめ。しまいにはなぜか、イスを持って来ました。

これは単に風邪からの何かとは考え難いと、病院に連れて行きました。 71歳のときです。

親戚宅への外泊で現れた病気の症状

病院へ行くと「アルツハイマーの中期」と診断されました。
その時はホッとしたんです。

これまでの奇妙な出来事が「私を試しているものじゃなかったんだ、病気がさせる行動だったんだ」と分かったからです。

病名の分かる数年前から、「見つからない」「なくなった」は言ってました。

電話も、話し終わった時に内容を話してもらうのですが、後でかけてきた相手に聞くと全く違っていたり、野菜が5円、給料が三千円と、今の感覚でない話もけっこうありましたっけ。

ただ、私自身の介護って、介護という感覚ではなく、炊事とか洗濯とか掃除とかだったので、年とった人相手にやる普通の事という感覚でやっていました。

でも、それがある時、「病気ってこういう事なんだ」ってわかる出来事があったのです。

病気と分かった後、一人で親戚宅に3週間程泊りに行きました。
普段は都会のマンション暮らし。それが地方の一戸建て。

迎えに行った時、玄関に入ったとたん消毒液の匂いがしたので「何か、病院みたいね。」って冗談交じりに言ったのです。

それって、クレゾールで消毒した臭いだったのです。

環境の変化で、混乱させてしまったのですね、って今なら分かります。でも、その頃は何が起こったのか・・・話を聞いてびっくりしました。

子供のように家人の後を付いて離れなかった。家の人をお手伝いさんと間違えていた。夜、寝なくなった。そしてトイレも分からなくなって・・・その結果がクレゾールの匂いだったのです。

ですが自宅に帰ると、それらの症状は全て治まりました。

とはいえ、失禁は数ヶ月後には現れ、物忘れ等も確実に進んでいきました。
それと共に、ありもしない非現実的な話なども出てくるようになりました。

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◆編集部より◆



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