現場インタビュー「45年ぶりの里帰りを、記憶がなくなる前に」



諏訪康公さん (千葉県・請西「宅老所 踊り場かなちゃん」)
NPO法人 井戸端介護のホームページ

◆よこがお

大学では法学部に在籍。
親が公務員ということもあり、将来は公務員か法律関係の仕事に着くかと思っていた。

しかし、大学3年の時に時間を持て余し気味になりアルバイトをしようと求職。

たまたま見つけた現在の法人の介護のバイト内容が時間的に都合がよかったことから応募。

仕事内容は宿泊施設を利用している方の夜間帯の食事介助など。

正規職員が一人いて、その補助をするという内容だった。

過去にプライベートで介護などしたことなく、認知症の方も、まったく知らず怖かった。

しかし、仕事を続ける中で少しずつ慣れていく。

同法人ではデイサービスと宿泊専用の施設を運営しているが、やがてデイの方でも働くことに。

その後、大学卒業までバイトを続け卒業。

ごく自然な流れでそのまま現法人へ就職した。

2012年春からは新たなデイサービス「宅老所 踊り場かなちゃん」が開設され、

そこの管理者に就任。
◆若年性アルツハイマー病の河井さん(仮名)との出会い

これまでの関わりの中で思い出ぶかいのは、河井さん(仮名)のことです。

男性で、若年性アルツハイマー病の方でした。

生涯独身で若い頃は工場で働いていました。

ケアハウスにすんでいたのですが、そこのケアマネジャーからうちのデイサービス利用の相談があったのです。



無口で人見知りで、引っ込み思案の方でした。

ケアハウス内においても、他人とあまり交流もなかったそうで、自室に引きこもりがちだったことからケアマネジャーがデイを勧めたようです。

その河井さんと仕事で偶然、出会い、彼の最期までお付き合いすることになりました。

いくつかの偶然がかさなったことがあり、自分の中で非常に印象深い関わりでした。



◆通常のデイサービスに馴染めなかった

当時、河井さんは、若年性のアルツハイマー病でお金の管理などがうまくできなくなり、成年後見人がついていました。

日常生活上のごはんを食べたり、トイレで用を足すことなどは、一通り自分でできていました。

でも、着替えの時など、新しい衣類と古いものの区別がつかなかったり、
服の前後ろが混乱したりすることがあったので、そんな時は見守っていて、必要な時だけ、手伝ったりしていました。

物忘れの度合いとしては比較的、軽度でした。

その河井さんがうちのデイサービスへ通うことになりました。

でも、周囲の利用者はもっと高齢で80代、90代などの方ばかりだったということもあり、話が合う人もなく居心地悪そうにしていました。

そこで、どうしようかとみなで話し合いました。

その結果、もう少し若年の方々がおり、草むしりなど作業を中心に行なっている事業もうちでは提供しているので、そちらを利用してもらうことにしてはどうか、となりました。

そちらへ移行すると、結構、集中して黙々と作業をされ、そういった関わり方の方が肌に合っていました。

職員とも一緒に作業をしていく中で、一緒にすごす時間も増えていって、話をすることも、ぽつり、ぽつりと増えていきました。

◆少しずつ打ち解けて

本人は若い頃は、鉄鋼関連の工場に勤めていて、
作業中に機械で指を切断し右手が2本ありませんでした。

何をするにも不自由そうに見えていました。

でも、ある時、野球のグローブが側にあり「キャッチボールでもやろうか」と。

「指も欠けていて、とても十分なキャッチボールなんてできないだろう」
と僕は思い、弱いボールを投げました。

すると、思いの他、上手で、投げる玉がしっかりしている。

少し力を込め球を強くしました。

すると、それもしっかりキャッチして、今度はもっとしっかりした球を投げ返してくる。

気づくと、当初、思っていたよりも相当、うまくって意外な一面を見せられた気がしました。

そこから、少しずつ、身の上話なんかもしてくれるようになりました。

出身が九州地方であること、
中学を卒業して単身で家を飛び出してきたこと。

九州の実家では、ご両親もいなくて、
年の離れたお兄さんと、そのお嫁さんと本人との3人暮らしだったこと

お兄さんとお嫁さんが親のようにふるまい、面倒をみてくれていたことなどを話してくださるようになりました。

「その家を飛び出して45年。一度も実家には帰ったことはない」。

そんなふるさとの話を折りに触れ、僕たちに話してきます。

「やっぱり、一度はふるさとへ帰りたいのだな」と僕は感じていました。



◆45年ぶりの里帰りを実現

でも、本人は既にアルツハイマーも発症しています。

ふるさとのことを思い出すのも、今しかできないことを感じていました。

また、今、住んでいるケアハウスもいつまでもいられることもできず、
近々、グループホームを申し込むことになるだろうとのことでした。

そうなると、うちのサービスにも通えなくなります。

きっとふるさとに帰ることは絶望的になります。

「ふるさとに帰るなら、今しかない」。

僕の思いをスタッフに告げると賛同してもらえました。

勤務上の休日を調整して、あと一人、仲間のスタッフについてきてもらって、
一泊二日の強行軍ならば、帰られるんじゃないかと。

本人は、あまりに予想を超えたことだったのか、当初、真に受けていなかったようでした。

ご実家のお兄さんには、前もって電話を入れると
「帰ってきてもいい」とのこと。

そして、いざ、九州へ向かうにも、今は飛行機を使うからあっという間についてしまいます。

それは、45年前の昔、河井さんが何時間もかけて、千葉までやってきた頃と比べると、
理解できない時間の速さです。
だから、現地へ到着した時ですら、まだ、本人は半信半疑なところがあったようでした。

でも、すこしずつ生家へ近づくにつれ、見覚えのある景色になってきたのか、少しずつ記憶がよみがえってきます。

「あの島は○○って言うんだ」
「あそこは、○○っていう場所なんだ」。

どんどん、昔の記憶が蘇り、細かい地理を僕たちに教えてくれます。

そして、ようやく郷里の実家に到着。

お兄さんと45年振りの対面です。

でも、お互い、突然の再会で何から話してよいのかわからないのか、
気恥ずかしさもあるのか、まごまごしているんです。

明日にはもう戻らなければいけないので、見ている僕たちの方が見ていられませんでした。

「もっと話しておいでよ」と促したり、背中を押しました。

れでも、少しずつうちとけ、話もすすみ、僕たちも一緒になって写真を撮ったりしました。

◆間もなく別れ

その後、再び、千葉へ。

しばらくは帰省した時のことを覚えていましたが、ご本人は若年性のアルツハイマーです。

記憶も少しずつ薄れてゆき、勘違いが混じったりし、帰省した記憶も少しずつ薄らぎ、
混乱してきました。

それから程無くして、
ある日、グループホームの入所が決まりました。

彼との別れとなりました。
「あのとき、本当に帰っておいてよかった」と思いました。

これまでずっと通っていた彼が急にいなくなり、
新しい環境でどうしているのかと、
僕たちも気になって仕方ありませんでした。

でも、グループホームの職員さんからは
「半年くらいは、面会にくるのはがまんしてください。帰りたくなると、お互いに辛いですから」
といわれ、がまんしていました。

半年ほど経過したのですが、いよいよ、そうなると、今度はこちらが不安になってきます。

半年も経過してアルツハイマーがひどく進行していたらどうしよう、
僕たちのことをすっかり忘れてしまっていたらどうしようかと・・・

それで、結果的に再会したのは、入所後、1年ほどした頃のことでした。

会うと、彼は思った程は変わっておらず、
僕のことも何となく覚えてくれていました。

とりあえず、無事で過ごしてくれているようで安心し別れました。

◆再開

それからまた、しばらくの年月が経ちました。

僕は地域の福祉関係のイベントに手伝いで参加していました。

そこでバッタリ、彼の成年後見人をしていた方と再会します。

「今、河井さん、どうしていますか」
「ガンで入院しています。あまり先は長くないそうです」

最後のお見舞いだと思い、病院へ行きました。

既に意識はなく、僕のことも理解できていません。

まもなく彼は息を引き取りました。
火葬場までおつきあいさせていただき、お骨になるまでずっと見守ることができました。

◆再びふるさとへ

気になったのは、そのお骨をどうするかということでした。

最近では、お骨を配送などで移送することもあるようですが、
僕はそんなことはしたくなかった。

再び、お骨となってふるさとへ帰るのであれば、せめてバスか何かで、
「人の手」でまた、あのふるさとへ連れていってあげたいと思っていました。

そのことを成年後見人の方に聞くと
「私が、お兄さまの所へ直接、お届けします」
と言ってくださったので安心し、お任せしました。

それが本当の別れになりました。

今はふるさとでずっと眠りについておられます。


※個人情報などは変更を加えております。
(取材 2012.5)
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