2012/04/07

「『嫌われる人』が『嫌われる人』であり続けるために」

◆投稿「『嫌われる人』が『嫌われる人』であり続けるために」


重度訪問介護※1の方の訪問介護を何人か受けもっています。

生まれつきの脳性マヒや脊髄性筋萎縮性の方など介護保険のケアと違い 一日を通した生活や外出を手伝います。年齢も二十代から四十代とまだまだ若い方々が多いです。
穏やかな人もいれば活発な人、嫌味っぽい人もいれば陰口、悪口が大好きな人もいます。

『あの人の言い方、嫌やわ~』
『文句ばっかり言うから行きたくない!』
などと言われ、ヘルパーに嫌われる障害者の方もいます。

「ダラダラすること」を手伝うと言うと 怠けてるように感じる方もいます。
でも、それは錯覚だと家でダラダラしている私は思います。


障害のない人は、人の陰口を言っても犯罪者にならない限り、家で寝転んでダラダラ出来ます。でも、彼らは違います。彼らはダラダラするのにも手助けがいります。

私はそんな『嫌われる人』が『嫌われる人として生きている日常』に手を貸したいと思うのです。

だから私の頭の中ではいつもこんな考えが頭の中を回っています。
この人は、これが普通か?
本当は我慢してないか?
と。

そういう仕事のような気がしています。
そこが好きで続いてるような気もします。
小さなあきらめと我慢を見つけて、こっそり手伝える技術を身につけたいなあ~と思っております。(おかめ)

※1ことば「重度訪問介護」
重度の肢体不自由者で常に介護を必要とする方に、居宅において、入浴、排せつ及び食事等の介護、調理、洗濯及び掃除等の家事並びに生活等に関する相談及び助言その他の生活全般にわたる援助並びに外出時における移動中の介護を総合的に行います。

→常連のおかめさん、いつも考えさせられる投稿ありがとうございます。

障害の方と老人介護の方って、ほんと、ケア内容がまったく違ってきますよね。

嫌なキャラクターもありのままに受け入れる。むかし、習った「受容」という言葉を思い出しました。

嫌いな利用者もいる。でも、嫌ったからといって、その利用者は何も変わらない。でも、もしかしたら、その人に寄り添い続けた先に、本人が「変わろう」と気づけるときがくるかもしれない。

それは、あくまで本人次第。でも、そんなダメかもしれない現状もまるごと受け入れ、寄り添っていく。

最近、国の介護の審議などでは成果主義やアウトカムといって、結果を重要視する傾向があります。そういった議論の浅はかさを感じさせられました。また、現場の報告、どんどん、お待ちしていま~す。(編)

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